大杉社長ってどんな人?

大杉敏郎です。お会いしたことのない方、はじめまして。大杉敏郎をご存知の方、こんにちは。
大杉工務店で仕事をはじめて、はや四半世紀が経ちました。
すでに長くお付き合いいただいているお客様は大杉敏郎という人間のことをよくご存じだと思いますが、取引歴が浅いお客様、これからお会いする未来のお客様に、このページを通して、大杉敏郎の生態を知っていただければうれしく思います。なぜなら・・・、大杉工務店の仕事は「ビジネス」の一言で割り切れるものではなく、人と人のお付き合い、心のつながり、信頼感を大切にしているからです。大杉敏郎という人間について、これまでの人生について、うれしかったことも、息が止まるかと思うほど苦しく、背筋が凍るほど思い出すのも恐ろしい前代未聞の事件も、そこから学んだことも、包み隠さずお話します。大杉敏郎という人間を、大杉工務店という会社を、少しでも知っていただけるとうれしいです。

継ぐ気はなかった

オヤジは住宅メーカーで役員まで務めた人物。オヤジが脱サラして明石の自宅ではじめたのが大杉工務店。当時、家には「大杉工務店」って看板がかかっていた。独立してからバブルを経験し、経営は浮き沈みが激しく、会社はもちろん家計も苦しかったことが何度もあったと思う。オヤジがお袋と支払いのことで何度もケンカしているのを子供のころから見ていては思った。「絶対に、サラリーマンになりたい」。

道具に囲まれ育つ

身近に木材があり、道具があり、手先の器用なオヤジがいて、夏休みの宿題の工作には困らなかった。創ることが楽しくて、大好きで、オヤジにいろいろ教えてもらった子供のころ。サラリーマンになりたい、と思いながらも、やっぱり「ものを創る」ということに魅せられていた。やっぱり「蛙の子はカエル」。工務店の仕事をする、という素質はオヤジからしっかりと受け継いでいた。

大学に行かないと言ったら殴られた

高校生になり大学受験が近づくと、美術の学校に進みたいと思うようになった。受験のためにオヤジにデッサンを教えてもらったり。ところが、ちょうどそのころバブルがはじけ大杉工務店も苦しい状況になっていった。家にお金がないことも薄々感じていたので「大学にはやっぱり行かない」と言ったらオヤジに殴られた。勉強は好きではなかったから「大学へ行っても勉強せーへんのに、高いお金はらっていく意味がない」と言ったら「大学は遊びに行くところや!」とオヤジが一喝。普通の親なら決して言わないであろう「遊びに行くところや!」という言い分に驚き、ひっくり返った。それなら・・・と、一浪して大学へ。もちろん、親公認だから、大学生活は勉強はそこそこに、自分の好きなこと、気になることにたくさんの時間を使った。そして、その経験が今に生きている。ある意味、オヤジの言うことは正しかったんだ。

岐路は阪神淡路大震災

勉強第一ではない大学生は、とにかく時間だけはたっぷりある。夜は居酒屋でアルバイト。大きな仕事を抱えていたオヤジの手伝いをキッカケに大杉工務店のアルバイトはじめた。夏休みは、友だちを数人にアルバイトとして声をかけて、現場へ行く。とにかく忙しく働いて、ひと夏過ぎれば40万円以上のお金を手にし、海外旅行も楽しんだ。そして就活の時期。とにかく、オヤジの会社には就職したくなかった。あこがれたのは、たち吉さん。日頃から外国人と接する機会が多かったこともあり、自分が日本人であること、日本の文化がすばらしいと常々思っていた。剣道をやっていたことがキッカケで「和」の世界への興味が広がり茶道をかじっていたことも。就活では、特にたち吉さんで働けたらいいなぁと思っていた。がしかーし、時代は前代未聞の就職氷河期。日本全国の内定率は過去最低を記録するなか、すんなり希望する会社に入れるはずもなく、就職浪人する結果に。そのとき起こったのが、多くの人の人生を変えた「阪神淡路大震災」だ。1995年1月17日早朝のこと。地面が大きく揺れた。想像もつかないほど多くの命を奪い、建物は崩壊。破損。大きな被害。1月17日から、怒涛のように忙しい日々が始まった。

現場をまかされ、現場で寝泊まり

震災直後から建物や住宅の屋根にブルーシートを張りに行く仕事をはじめ、困っている方々のところへ行き、被害状況を確認した。やってもやっても終わらない仕事。人手が足りない。朝から晩まで現場に詰めて1月、2月、3月と時間は飛ぶように過ぎていった。現場に簡易の寝泊まるする場所をつくり、地震の影響で交通の便が悪いこともあり現場で寝起きする日々。現場は自分と友だちだけ。修繕を担当する業者さんが来たら指示を出す。自分でも大工さんのごとく腰袋をつけて釘を打ったり。そのころには、仕事はセミプロ。学生ながらも、仕事は半人前にはできるようになり、職人さんへ指示を出すようになっていた。

社会の厳しさを知る

4月。一緒にアルバイトをしていた友だちと一緒に、大杉工務店の社員になった。心のどこかで「これは、腰掛け。いずれ大杉工務店は辞めてサラリーマンになる」と思っていながらの仕事。責任者として現場にでているのに甘えた気持ち。お客様はたまったものではない、と今ではコトの重大さがわかる。同じように責任者として現場に出ていた友だちは責任感が強く、仕事の重さに気持ちがついていかず、辞めていった。当時の大杉工務店は日頃お世話になっている取引業者さんからのご依頼で、やむを得ず孫請け、ひ孫請けのお仕事をお引き受けしたことも。そういった仕事のときはこれまでの経験と知識を生かして仕事をするも、発注元の会社から理不尽な要求を繰り返し言われては腹が立ち、ある日キレた。「辞めてやる!」現場を捨てて、仕事を辞めた。心の中で「自分がいなくなったら迷惑だろう。困らせてやれ」と思っていたけど、現実は冷静で厳しかった。自分がいなくても、オヤジは何事もなかったかのように現場へ行き、グチも言わず、何のトラブルもなくスムーズに仕事が進んでいく。自分はと言えば、行くところもなく、毎日公園へ行っては夕方まで時間をつぶす日々。そして思った「悔しい。自分がいないと困ると言わせてやろう」と。はじめて「大杉工務店」に向き合った瞬間だった。

社会人としての自覚

「自分が辞めたら困る」と言わせてやろう、という、ある意味 不純な動機であるものの、真剣に必死に仕事に取り組む。すると、周りの見る目がどんどん変わってきた。必死に仕事をすれば自分でできる仕事が増えてくる。すると仕事が楽しくなる。その結果、周りが少しずつ認めてくれるようになる。「仕事」に対する姿勢が変わり、ようやく社会人としての自覚をもった時期だった。どんどん自分の仕事が増え、オヤジの会社から逃げられなくなった。いつでも辞められると思っていたのに、仕事が楽しく辞める理由がなくなっていた。いい加減なことをしたらオヤジに迷惑をかける。ここから少しずつ、社会人としての自覚が芽生え、そして自分のなかで育っていった。

「この業界でやっていくんや」

地元のパン屋さんで有名なKの会長さんとお知り合いになり、お客様を紹介してくださった。自分が25歳の時のこと。これからパン屋さんを開業するAさんだ。請負総額は1000万円超え。それまでの仕事とは比べられないほど大きな仕事。急にステージがあがった気がした。Kの会長さんが自分を信じて紹介してくださったからには、失敗は許されない。Aの担当の方は、27歳の常務。27歳のお客様と25歳の工務店の自分。今思えば、よく仕事を任せてくれたと思う。デザイナーさんや業者さんとの打ち合わせ、現場での施工。必死に取り組み、ようやく店舗が完成した。完成後の打ち上げの席で、Kの現会長さんは、みんなの前であいさつするときにこう言った。「いやぁ、頼んだオレが一番心配やった。紹介した手前、大丈夫か?と思って。完成した店舗をみせてもらって、大杉敏郎、いい仕事してくれたな、と安心したわ」。Aさんの仕事をぶりを見てくださった社長から、その後、Kさんの仕事も任せていただけるようになる。Aさんの店舗が完成したとき、自分なりに覚悟を決めた。「本気でこの業界でやっていく。」その後、KさんもAさんも、長く永く、お付き合いさせていただく大切なお客様になっている。

お客様とつながりたい

オヤジの会社で仕事をはじめた日から一番怖かったこと。それは「オヤジが死んだらどうしよう」ということ。解決策は、オヤジが開拓したルートのお客様とは違う、自分のお客様との仕事を増やしていくことだと思うようになった。さらに、今につながるもう一つの想い。「直接お客様とやりとりがしたい。お客様とお話がしたい。お客様と施工に取り組む業者がダイレクトにつながりたい」。そうすればお客様の喜ぶ顔を、携わったすべてのスタッフに見ることができると考えたからだ。お客様と直接お話ができるからこそ、しっかりと話を伺い、ご要望をくみ取り、アイデアを練り、ご提案することができる。それまでは、下請けの仕事も引き受けていた。自分は発注会社を喜ばせるために仕事してるんちゃうねん。お客様を喜ばせたいんや。大杉工務店の方向性を決めた、重要な決断だった。

恐れていたことが現実になってしまった

オヤジが死んだ。一番恐れていたこと。交通事故だった。突然の悲報。その直前、不渡りをつかまされ大変な状況になったな、と思っていたけど、そんなことは「大変」のうちには入らないほどの衝撃を受けた。オヤジがつくった会社。オヤジを信頼してくれているお客様。そのオヤジがいなくなったら、会社はたたむしかない。自分にはできない。とにかく、会社から、仕事から逃げたい一心だった。今すぐ逃げ出したい。会社をこれからどうしたらいいのかも、まったくわからない。今やっている工事は「大杉工務店ではできません」とお詫びしなければ、と思っていた。どこかの会社に施工中の工事を丸投げすることを必死で考えていた。ところが葬儀の日、自分以外の人はみんな違うことを思っていると初めて気づく。「大変やったね。工事の再開はいつでもいいからね」。みんな、自分が引き継いでやると思っている。会社をたたんで、途中の工事は誰かに続きを丸投げでお願いするつもりでいたのに・・・。「自分がやらなあかんのか」。どうやら逃げられないらしい、と感じ、覚悟ができた。迷惑をかけているから、とにかくはやく何とかしなければ。死んだオヤジにも恥ずかしくない仕事をしているところを見てもらいたい。認められたい。心を決め、施工中の工事を続ける準備をはじめた。

「お金がないって強いわね」

再開しようと思っても、ない袖は振れない。数週間前に不渡りをつかまされて、会社には金がない。工事をお願いしている業者さんへの支払いもできない。それでも、工事はやらなければならない。お金は払えないけど仕事をしてほしい、と頼みに行くのはさすがにつらかった。でも他に道はない。そのときは、もう完全に開き直っていた。職人さんの自宅へ足を運び、頭をさげてお願いする。職人さんは「わかった。やったるわ」と引き受けてくれたそばで、職人さんの奥様が「ほんま、お金がないって強いわね。支払しないのに仕事してくれなんて・・・」とあきれていた。おっしゃるとおり。だけど、支払いが滞る中でも、周りの人たちは懸命に、大杉工務店を支えてくれた。とにかく、早く終わらせたい。片を付けたい。逃げたい気持ちをなんとか抑えて義務感だけで働き、ようやく工事はすべて終わった。支払いも済み、土砂降りの雨模様だった大杉工務店は嵐を乗り越えていた。嵐が過ぎると、なぜか不思議と気持ちが前を向いていた。あの頃、支えてくださった皆様に、足を向けては眠れない。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

施工逃げはしない

それから15年。当時の仕事のやり方にガツンと喝を入れられ、考えさせられる事件が起こった。「庭のフェンス」だ。ある会社さんからの依頼で、個人宅の庭にフェンスをつけることになった。予算も決まっており、予算内での提案。コストを抑えることも考え、木製のフェンスの案をまとめ提出。お客様も気に入ってくださり、設置した。仕上がりもよく、喜んでくださったお客様。が、これが思わぬ結果をもたらす。施工から数年後、お客様から電話が。「まわりの家のフェンスは何年経ってもキレイなままやのに、なんで家のフェンスは汚いんや?」。当時の自分からすれば「いや、木製やから年月が経てば腐るし汚れる。提案のときに言っていたはず・・・」。だけど、その考えが、そもそも間違いだった。お客様にこっぴどく怒られて、信頼を裏切って、プロとして求められる役割に気づいた。施工したら終わり、ではない。何年経っても、お客様は使い続ける。それを考えて提案する。それがプロだ、と。説明したからいい、のではない。プロとして、提案するとはどういうことなのか、自分の考えを根底から覆す失敗だった。だからこそ、今、お客様の未来を考えたうえでプロの提案をする、それがプロとしての仕事だと思っている。

盆正月、土日祝でも電話に出るべし

庭のフェンス事件でお叱りを受けたお客様から、もうひとつ大切なことを教えていただいた。それが、大杉工務店 心得その1でも紹介している「盆正月、土日祝でも電話に出るべし」だ。このお客様から携帯電話に連絡をもらったのは日曜日。大杉工務店は、一応土日祝はお休みをもらっている。そのことが頭にあり、日曜日に着信を確認したものの、折り返しの電話をしなかった。よく月曜日、お客様に電話をすると「昨日電話したやろ。なんですぐに折り返し連絡がないんや」と怒られ、はじめて「お客様が困るときは、平日、土日祝は関係ないんや」ってことに気づいた。大杉工務店には飲食や物販の店舗を運営しているお客様が多い。サービス業では、土日祝は稼ぎ時。そこでトラブルが起これば、売上に直結してしまう。いまでは、携帯電話を片時も手放さず仕事をしている。もちろん寝る時も、子供たちの野球の試合を応援に行っている時も。先日は、大声で息子の野球の応援をしているときにお得意さんから電話があり、「ちょっと外野がうるさくてすみません」と言いながら野球のグランドで仕事をしている。こんな状況でも仕事をしている自分が、結構気に入っている。これは、自分なりに真摯に仕事に向かう姿勢のひとつだと思っている。

携帯電話への連絡と言えば、もうひとつ忘れられない大事件がある。大杉工務店はもうダメかもしれないと本気で思ったトラブル。

詳しくはこちらのページでガッツリ語っています。キーワードは「火事」。お時間があれば覗いてください。

そして今

自分は大杉工務店の社長として仕事をしている。お客様のために。直接お客様とお話ができる仕事も増え、お取引先も大杉工務店を信頼してくださっていると思う。これから社員も増える予定。まだまだこれから。社長として、前進あるのみ。「大杉工務店って、やっぱ違うな」、と思ってもらえるように目の前のことに全力で取り組んでいる。